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2008年2月15日,阿斯逹が創立10周年を迎えました。これを祝うために阿斯逹の全職員と家族及び招待お客さんたちがソウルヨウィド63ビルコスモスホールに参加して頂き'(株)阿斯逹創立10周年記念式'を開催しました。以下は徐 唱寧(ソ・チャンヨン)代表取締役のごあいさつでございます。




「 阿斯逹創立10周年記念 」

始めまして。株式会社阿斯逹代表取締役 徐 唱寧(ソ・チャンヨン)でございます。今日はまことに嬉しい日です。今日は1998年2月15日‘阿斯逹インターネット情報会社’という個人会社を設立した日から正式に10年目になる日です。阿斯逹創立10周年を迎え阿斯逹全職員と家族そしてお客様方々が一席に集まって頂きありがとうございます。

1.阿斯逹が通り過ぎた 10年

阿斯逹が通り過ぎた10年の歴史は挑戦と成長の10年でした。一人の小さな夢で始めた阿斯逹はもう会員150万名,社員140人,売上げ60億ウォンの中小企業に成長しました。今日このように成長し阿斯逹を思うと更に胸が熱くなります。

阿斯逹個人会社の時代
1998年2月15日私が阿斯逹を初めて建てる時には何も持ってませんでした。資本も技術も経験も何も持ってない私でした。私が持ったのはただの未来に対する夢しかありませんでした。当時29歳の若い青年だった私はインターネットという新しい世界に目を開いて無限な可能性を見つけました。本で独学して学んだ下手な腕前でホームページを作って,良いドメイン名前を登録しながら,一歩ずつ阿斯逹という会社の下図を描き始めました。当時にはお金がなくて自分の家だったアパートでコンピューター一台で仕事を始めました。

周りの人達がよく私に聞きました。“どうしてこの仕事を始めたの?”。私は“夢をつかむため”この仕事を始めました。当時私はソウル大学校大学院博士課程学生として無理して自分の仕事を経営する必要がありませんでした。安定的な将来が決められた青年でした。さらに私の妻であるイ・ジョンウォンは有名な整形外科医者として高所得が保障された医者でした。しかし,安定的な生活に満足するには私が見つけたインターネット世界あまりにも広い世界でした。その無限な世界を諦めることはどうしてもできませんでした。当時ちょうど始まったインターネットという無限な機会の地に ‘阿斯逹’という旗をさしたかったです.朝の地コリア(Korea)で始めて全世界にインターネットの明るい光を照らすグローバル会社を作るという大きい夢を見ました.私のこの夢が一人の夢で止まないで,十人,百人の夢になって今日阿斯逹という会社を作った原動力になりました.

阿斯逹株式会社設立
阿斯逹がジャンプするようになった一番目きっかけは 2000年 1月に始めた .COM ドメイン登録事業でした.2000年初韓国にインターネット熱風が吹き始めながらドメイン登録が爆発的に増加しました.当時アメリカ留学の中だった私と私の妻は昼も夜も区別なしにドメイン登録申込書を処理したが,一度にどっと押し寄せる顧客を手におえるにはあまりにも手ごわい状況でした.銀行通帳には一日が違うようにお金がスブックが積もったが,業務に轢かれて食事を欠かしたことも多かったし眠りもまともに寝ることができなかったです.週末もなくて休日もなかったです.本当 “忙しくてたまらない”と言う言葉が自然に出ました.この状況を改善する根本的な対策が必要でした.

“韓国に職員を選ぼう!” これが唯一の解決策でした.こういうわけで私と妻はアメリカにあって職員たちは皆韓国にある二重的組職体系が作られました.今思えば阿斯逹はもう会社設立初期から太平洋を横切って韓国とアメリカを出入りするグローバル会社で始めたのです.初めには国際電話を通じて韓国の職員たちと業務連絡を取ったが一月に百万ウォンが超える国際電話費用を手におえにくかったです.それで職員掲示板を作って自分の業務を手短に報告するようにしたが,これが今日私たちが使う一日業務補で掲示板の手始めです.韓国の職員たちが増えて,事務室も得て,顧客電話相談もしながら阿斯逹はこれ以上個人会社で維持しにくくなりました.遂に 2000年 4月 14日 ‘阿斯逹インターネット株式会社’という法人会社を設立しました.こういうわけで阿斯逹は初期家族中心の個人会社から脱して “顧客の信頼を土台で成長する開かれた企業”になることができました.

阿斯逹の初期成長
会社が少しずつ席を取るによってアメリカと韓国で分離したこの中組職によって業務に制約が多かったです.遂に私と妻は 2001年 5月韓国で帰国して会社業務に邁進する事にしました.帰国直後会社監査はあまり良くなかったです.当時事務室は指輪下層だったが,換気がよくできなくて夏なら壁に湿り気が満ちました.それに私の部屋は帰国の前に喫煙室で使われて壁と窓がいちめん黄金色なタバコ煙で垢じみていました.トイレは男女共用で使ったがとびらが落ちて行って手で門の取っ手を取って用事(?)を見なければならなかったです.もし私たちに未来に対する夢と希望がなかったら当時状況を耐えにくかったはずです.

帰国直後私は私のすべての熱情と努力を会社業務に投入しました.朝から夕方までのべつ幕無しに仕事をしたし,夕方食事以後にも毎日夜勤をしました.出退勤時間を惜しむために会社まん前 10分距離に家を用意したし,食事時間も減らすためにお昼と夕方を事務室に配達して食べました.夜 12時以前に帰ったことがほとんどなかったし,はなはだしくは夜明け 2時,いや夜明け 5時まで仕事をした日も多かったです.一日はうっかり居眠ってから目を開いて見たら事務室セメント底に電気カーペットが敷かれていたがその上に倒れて眠った日もありました.当時私と一緒に苦労した神童人,このお金では,金宗憲,李映画などその時職員たちの名前を私は一生忘れることができないだろう.

私たちの努力が無駄ではなかったのか会社は早く成長しました.2002年 3月 1日インターネット帝国のウェブホスティング事業を引き受けたし,4月には ‘韓国ドメイン企業協会’と ‘韓国ウェブホスティング企業協会’を設立して部会商売になったし,7月には ‘公認 .KR ドメイン事業者’に選定されて売上げが爆発的に増加し始めました.2000年 5億,2001年 5億だった売上げが 2002年 12億で二つの倍以上増加して,2003年には 27億で急激に増加しました.職員数も 2001年に 10人位だったが,2002年 20人,2003年 35人で増加しました.対外的認知度も高くなって協力関係も好きになってゾングボネッ,ブルルウェブ,ホストウェイ,ネッピア,今日課内であるなど名うての会社らが阿斯逹の KR ドメインリセラーになりました.有能な人才もたくさん採用したがシムゼツン,イゾングロック,ナチォルウックなど会社の核心幹部の中でかなり多い数がこの当時に阿斯逹に入社しました.会社監査が好きになりながら給与も上がって職員福祉も好きになりました.この時から毎年春と秋二度にかけて 1泊 2日で全体職員ワークショップを行って面白いゲームをして楽しい時間を過ごしました.自然の中で清い空気を吸って思いきり笑って飛び回って遊んだ姿が今も目に浮びます.

新規事業進出
会社が安定しながら私は新規事業に対して悩み始めました.当時ドメイン登録とウェブホスティングサービスを通じて会社を育てたが,市場がもう飽和状態で入っていたから新しい成長動力を捜さなければならなかったです.会社名を “株式会社阿斯逹”に変更して新規事業に対する強い意志を表明しました.2003年と 2004年にわたってインターネットショッピングモール,オンラインゲーム,携帯電話ベル音,生活情報,検索エンジン登録代行,中国 PC部屋チェーン店,オンライン映画,インターネットマンガ,テレマーケティングなど多様な新規事業を始めました.しかし,不幸にもこの中どれひとつも成功することができなかったです.弱り目に崇り目で 2004年 6月 11働いたプログラマーの間違いによって阿斯逹ウェブホスティング顧客たちのホームページ 5,867個が削除される非常事態が発生しました.3日日夜を家にも入らないで全職員が合心してデータを復旧したが会社が口は致命的イメージ損失は原状回復することができなかったです.会社が新規事業に進出することは新しい機会でもあるがよほど危ない事でもあります.新規事業に進出して成功すれば良いが, もし失敗すれば新たに進出しようとしていた分野だけ被害を被るのではなく既存事業まで深刻な打撃を受けるからです.ショッピングとゲームなど新規事業分野に少なくない資金と人力,時間と努力を投入したが結果が些細で会社は深刻な難しさに処するようになりました.

社長で暮すというのは非常に大変な事です.既存事業を維持して発展させることもたやすい事ではないのに,新しい事業を始めてまた成功をしなければならないからです.社長は職員たちの前で “できます!”と常に自信あるように言うが,中では “失敗すればどうする?” してうんうんはと胸を病みます.社長はスーパーマンではないです.社長も人間だから時々心が弱くなって,誤った決断を出して,花道内告,泣いたりします. 社長で暮すということはさびしくて孤独な事です.無数に多い人々と一緒にいるが結局最終決定は一人で下さなければなりません.私は強い人だが当時新規事業の引続いた失敗によっての前が見えない闇の中トンネルを迷う心情でした.もしその時私が挫折したら今日阿斯逹は存在しなかったはずです.挑戦がなければ失敗もなくて成功もないです.多くの新規事業に挑戦して失敗の苦汁を飲んだが,私は最後まであきらめないで新しい事業に挑戦して遂に阿斯逹の新しい歴史を作ることができました.

2004年初阿斯逹は新たにデザインイメージソース開発事業を始めました.ホームページ製作に必要な各種アイコン,背景,人物などイラストイメージソースを製作してチープな価格に販売するサービスでした.このデザイン事業を始めることで阿斯逹は新しい希望を捜して再跳躍することができました.当時デザインチーム長だった金宗憲代理がこの事業を引き受けて二つ三つの人のイラストデザイナーを採用してデザインジャングル,ゲッファである,フリー陣などのサイトに販売し始めました.たとえ売上げは多くなかったが時間のたつほど販売が倦まず弛まず増加する楽しさがありました.もしこの時デザイン事業を始めなかったら阿斯逹はまだドメイン及びホスティング会社で泊まっていたかも知れないです.幸運の女神は幸いに阿斯逹を捨てないで最後の瞬間に暖かいほほ笑みを渡してくれました.

阿斯逹の新しい跳躍
2005 年 3月 12日阿斯逹は駅三洞を発って加山洞 ‘ウリムライオンスベルリ’に引っ越しをしました.これ以上他人の建物に家賃を暮さないで堂堂と自分の所有の建物を分譲受けて入居した歴史的な私をでした.広くて快適な事務室に引っ越して来た職員たち皆が喜びました.事務室と会議室を分離して,いわゆる ‘木の枝理論’と ‘羊の群れ理論’によって職員たちの席配置をしました.私は風水地理説を信じないがどうしたなのか引っ越して来た後から阿斯逹がするすべての事がうまく行き始めました

新しい環境で新しい心得で私は二つの事業戦略を立てました.一つはドメインホスティング引受戦略で他の一つはデザインコンテンツ開発戦略です.言い換えれば既存のドメイン及びホスティング事業分野で他の会社の営業圏を引き受けて事業規模を育てて,新たに始めたデザイン事業分野で大量のコンテンツを開発して 1位業社になる戦略でした.この戦略は当時状況にぴったりと合って落ちながら大きい效果を発揮しました.2005年から 2007年までコビス,ナホスティング,ドメインパパ,ニュー21,バダネッ,李大雅,ギブユネッなどドメインホスティング企業等の営業圏を集中的に引き受けました.また,デザインコンテンツソースを集中的に開発するために 2005年 45人だった職員を 2006年 70人,2007年 100人,そして最近 140人で急激にふやしました.デザイン開発分野もイラストで始めてウェブデザインテンプレート,フラッシュ,写真,文書デザインなど多様な分野で確張しました.デザイン流通分野では 2005年 10月 10日デ-ザインモルをオープンして,2006年デ-ザインモルリセラー及び CPを集中募集したし,2007年各種イベントを通じる攻撃的なマーケティングで業界 1位になりました.それにデ-ソサイトを引き受けることで阿斯逹はデザインソース流通分野で圧倒的 1位業社で位置づけるようになりました.2007年 12月には今年プランが運営したウェブプログラム事業を引き受けることでもう阿斯逹はデザインコンテンツだけではなくソリューションソースまで販売する総合的なデジタルコンテンツ専門企業で成長しています.

会社の成長とともに対外的影響力も大きくなりました.2006年 1月から社団法であるハングックイントネッホスティングヒョブフェ(KIHA)の会長を引き受けるようになったし,2007年 10月ハングックデ-ザインコンテンツゼザックザヒョブフェ(略称 CP協会)を設立して会長になりました.海外事業にも目を向けて 2006年 4月北朝鮮の三千里総会社と HTML コーディング代行契約を締結して,次年分野を拡大してフラッシュコーディング及び編集写真を開発しているし,2007年中国対連及び辺の多くの企業等とデザインコンテンツ開発契約を結んで事業を進行しています.2007年一年の間私は総 12回の海外出張をただいま.アメリカ,日本,中国,ベトナム,引導,中国,北朝鮮など多くの国を旅行しながら多くのことを学んだし,阿斯逹が世界的な企業で成長することができるという自信感を得ました.



2.阿斯逹の成長要因と経営理念

人々は私に “成功した事業家”と言います.事業を始めてから 10年ぶりにお金もたくさん儲けたし,お子さんも多くて,社会的に影響力ある肩書きもたくさん持っています.しかし,まだ成功を言うにはとても早い気がします.何故ならば今まで来た道より前に行かなければならない長さもっと遠くて険しいからです.

阿斯逹の成長要因
阿斯逹が今まで成長することができたことは顧客を主人と思って顧客に最善をつくして奉事したからです.“顧客中心のサービス企業” を作るという考えは私が会社設立初期から今まで一貫されるように立て通している経営哲学です.企業の存在理由は顧客に良い製品とサービスを提供するのです.水のないお腹が離陸することができなそうに顧客のいない企業は維持されることができないです.良いデザインを作ることは自己満足のためではなく顧客に提供するためだからです.優秀なプログラムを開発することは自分の実力向上のためではなく顧客にもっと早くて便利な機能を提供するためだからです.顧客は最高の師匠です.阿斯逹は顧客の要求事項を具体的に把握して顧客が満足する最高のサービスを提供するために努力するでしょう.

阿斯逹が今まで成長したところには私と一緒に熱心に働いた職員たちの功労が大きいです.会社設立初期の難しい時代から一緒に苦労した職員たちはもちろん最近入社した新入社員たちまで各各自分が引き受けた役目をよく遂行してくれます.とてもありがたいです.また私たち阿斯逹がこんなに成長したところには退社者たちの功労も忘れることができないです.たとえ今この席にはないが遠くからでも一緒に阿斯逹の創立 10周年を祝っているでしょう.この前に阿斯逹で熱心に働いたように今は新しい所で自分の夢をつかむために熱心に働いていると信じます.阿斯逹は ‘良い職場’を作るために努力します.職員給与を持続的に引き上げて,各種福祉制度を取り入れて,職員教育に力をつくします.

阿斯逹の成長には協力社グァンギェザブンドルの助けも大きかったです.ドメイン及びホスティング業界関係者様たちと阿斯逹デザイン CP 及びリセラー運営者様,そして阿斯逹が分かって阿斯逹が発展するように願う国内外すべての人々に心よりご感謝の言葉を申し上げます.阿斯逹は今までそうして来たように今後とも協力社とお互いに助けて一緒に成長する ‘共存協力’の経営原則を守って行くでしょう.

阿斯逹は社会に感謝しています.企業は社会という森の中で育つ木のようです.森がなければ木が伸びにくそうに健全で暖かい社会が維持されなければ企業が成長しにくいです.阿斯逹は国家に税金をまじめに納めて社会発展に貢献するために熱心に努力します.阿斯逹は貧しい隣りを助けて利益を社会に還元する企業になるでしょう.

阿斯逹の経営理念
阿斯逹創立 10周年を迎えた今日私は阿斯逹の 3代経営理念科 5台経営原則を発表しようとします.先に 3台経営理念を申し上げます.3台経営理念は顧客中心のサービス企業,創造的革新企業,世界の中のインターネット企業です.第一,阿斯逹は顧客をすべてのものの中心に残して顧客に最高のサービスを提供するために努力する企業です.第二,阿斯逹は現実に安住するとか他人の物を模倣しないで創意的アイディアを土台で絶えず革新する企業です.第三,阿斯逹は朝の地コリアで始めて全世界で伸張して行く世界の中のインターネット企業です.次に 5台経営原則を申し上げます.5台経営原則は顧客満足,良い職場,利潤追求,共存協力,社会還元です.第一,阿斯逹は顧客を主人で見て顧客に奉事します. 第二,阿斯逹は優秀な人才を養成して良い働き口を提供します.第三,阿斯逹は売上げをふやして費用を減らして利潤を極大化します.第四,阿斯逹は協力社とお互いに助けて一緒に成長します.五番目,阿斯逹は貧しい隣りを助けて利益を社会に還元します.以上 3代経営理念科 5台経営原則は今まで使った阿斯逹 4台経営方針を一部修正してもっと発展させたこととしてあと阿斯逹がすべての業務で一貫されるように立て通さなければならない確固な原則です.



3.阿斯逹が進む 10年

阿斯逹は世界の中のデジタルコンテンツ専門企業で成長するでしょう.去る 10年間阿斯逹はドメイン,ホスティング,デザイン,プログラムという 4台サービスを中心にインターネットビジネスのはじめから最後まで一つの黄金鎖で編むゴールドチェーン(Gold Chain) サービスに力を注いで来ました.これから 10年間阿斯逹は人間の知識をデジタルファイルで保存して販売する新しいビジネスモデルであるデジタルコンテンツ(Digital Contents) 開発及び流通サービスに集中するでしょう.

デジタルコンテンツには多様な種類があります.現在阿斯逹が主力開発しているデザイン試案,フラッシュ,イラスト,ペインター,編集写真,単独写真,文書デザインなどデザインコンテンツだけではなく,プログラムソース,文書,動画,電子本,マンガ,サウンド,音楽,映画,ゲーム,放送など多様な形態のデジタルコンテンツが存在します.阿斯逹がはじめからすべての分野のコンテンツを開発することはできないが,“千里道も一歩から”という心で一つずつきちんきちんと事業分野を拡大して行くでしょう.

デジタルコンテンツはその特性の上無限複製が可能です.初めて一つを製作することは大変だが一応完成されれば追加費用なしに無限に複製して配布することができます.デジタルコンテンツ事業はある程度水準のデータベースを構築するまでは多くの努力と時間,費用が投入される短所があるが,相当な位のデータベースが構築されればその時からはわりと易しく多くの収益を出すことができるという長所があります.阿斯逹は今まで 30万個以上のデジタルコンテンツ商品データベースを構築しました.あと阿斯逹は 50万個,100万個,いや数千万個以上のデジタルコンテンツ商品を取り揃えた世界的なデジタルコンテンツ専門企業で成長するでしょう. デジタルコンテンツはその特性の上国境がないです.言語と文化の差はあるが国家の境界はないです.阿斯逹は中国,日本,東南アジア,アメリカ,ヨーロッパ,アフリカなど世界あちこちに支社と提携会社を置いて多様な文化的背景を持ったデジタルコンテンツを開発するでしょう.開発されたコンテンツは電子的形態に送信されるから国境の障壁がなしに全世界で自由に流通することができます.21世紀ボーダレスなインターネット時代を迎えて阿斯逹はデジタルコンテンツという商品を持って全世界で伸張して行くグローバル企業になるでしょう.

阿斯逹がデジタルコンテンツ専門企業で成長するためには多くの人々の努力が必要です.既存のドメイン及びホスティング事業部分は会社のキャッシュカウ (cash cow)として今後とも持続的なサービス改善と他の会社引受を通じる早い成長が必要です.デザインコンテンツ開発部分は大韓民国 1位企業として最高品質のコンテンツを開発しなければなりません.プログラム開発部分は会社の各種サイトを管理改善して自体ソリューションを追加開発しなければなりません.管理者と総務,企画など経営支援部分はこのすべての業務が円滑に成り立つように前で導いて後から押してくれなければなりません.
去る 10年間阿斯逹は多くの成長をしました.しかし,阿斯逹は今まで成した成果より何倍以上もう大きい成果を出すという夢を持っています.阿斯逹は現在職員が 140人だが,すぐ 200人になるはずであり,久しくなくて 500人,1,000人,いやその以上に増えるでしょう.阿斯逹は去年売上げが 60億ウォンだが,今年 80億,来年に 100億ウォン以上に成長するはずであり,長期的に 500億,1,000千億,いやその以上の売上げをあげる大きい会社で発展するでしょう.会社の発展とともに顧客サービスも改善して,職員給与と福祉水準ももっと向上するはずであり,企業の社会的役目と責任ももっと大きくなるでしょう.

阿斯逹は朝の地コリアで始めて世界の中のデジタルコンテンツ専門企業で発展するという遠大な抱負を持っています.一錠の火種が広野を燃やすという話があります.一人の見る夢は見るに経たないが,多くの人が一緒に見る夢は現実になります.阿斯逹は 10年伝えた人の夢によって始まったが,これから数百,数千,数万人の人々が阿斯逹で集まって来てその夢を一緒に作って行くでしょう.
燃え上がる太陽の花火を含んだブルセと一緒に阿斯逹は胸熱い熱情と疲れない努力で今日この席へ来ました.蒼空に一杯な風の機運に乗って空高くほとばしる三足烏と一緒に阿斯逹はこれからどんな難しいことにも屈しないで絶えず進んで全世界に朝の明るい光を照らすグローバル会社で成長するでしょう.阿斯逹は知識と情報,愛と幸せを全世界に伝えて国境なしに一つで繋がれた世の中で “デジタルに開いて行く夢のユートピア世の中”,すなわち “Digital Dream Utopia”を作って行くでしょう.



ありがとうございます。
2008年 2月 15日
(株)阿斯逹 代表取締役 徐 唱 寧